こんにちは。ココマスダ です。
私が60歳のお誕生日を迎えてから早くも一年半が経ってしまいました。
人生において何歳になるとシニアになったと感じるかは人それぞれ違うと思います。今は平均寿命が昔よりずっと長くなりましたが、100歳以上元気に生きられる人は少ないですから、やっぱり50歳になる時は、少なくとも人生の半分は生きてしまった、という感慨はありますよね。私の場合は、養子を迎えて母親になったのが遅かったので、50歳になった時はまだまだ子育てが忙しくて落ち込んでいる暇はなかったし、極真空手もやっていましたから体力的に年は感じていませんでした。
それに比べて、私が還暦のお誕生日を迎えた2019年は、私にとって大きな節目となった年でした。アメリカでオフィシャルにシニアと認められる年までは後数年あるのですが、シニアとしての恩恵が始まる年です。年齢を隠す女性は多いですが、私は全く気にしていません。
私が老後貯金を預けて投資をしているフィデリティ証券では、60歳以降は口座からの現金引き出しにペナルティがかからない。(これは嬉しいと同時に危ないです!)
メディケア(高齢者および障害者向け公的医療保険制度)の利用が始められ、様々なディスカウントが受けられる年齢は65歳。
ソーシャルセキュリティー(米国の年金)の満額支給年齢は生年月日によって異なり、私の場合は66歳10ヶ月。
そして、娘が高校を終えて大学に進学し、(私の思い通りに進めば)寮に入居して独り立ちする一歩を踏み出した年。言わば私の人生の新しいチャプターが始まった年です。シニア生活はよくセカンドステージと呼ばれますが、私にとってはサードステージ。
ファーストステージは、ほぼ自由に人生を謳歌したけれども、親の子として生きた時期。
セカンドステージは、仕事を続けながらも、妻として母親として家族のために生きた時期。
サードステージは、一番自分らしく生きられる時期。
どうせならシニアになる事を嫌がらず、残りの人生を楽しもう、と思って次の5つの計画を立てました。
① 終活作業 - 断捨離をし、情報を整理して、いつ死んでも娘が困らないようにする。
② 残りの人生を共に過ごせる連れ合いを見つける。
③ 外見を整えて、魅力的なシニアでいられるようにする。
④ キャリアの方向性を定める。
⑤ AARPに入会する。
各項目を、5回の投稿に分けて続けて書いていきますね。
今回は、
① 終活作業
について語ります。
終活は、「モノや資産を整理することだけでなく、ライフスタイルを見つめ直しこの先の人生を実り多いものにするための活動」なので、上記の①〜⑤の全部がそれに含まれるのですが、ここではモノ、資産、情報整理に限ります。
私がモノを減らす事を始めたのは15年ほど前、40代の後半です。2002年にアップステートの田舎町、ウッドストックに持っていた別荘を売った後、別荘にはアトリエもあったので、沢山の本や仕事の道具、服、ベッドリネン、小さな家具等を近場のレンタル・トランクルームに預けて、預けた物を見ることもなく月に数百ドル(数万円)の家賃を払い続けたのです。他の別荘を買うこともなく数年が過ぎ、流石にトランクルームのレンタル代が無駄だと感じ始め、保管していた物を整理した後に解約することにして、使える物は貰ってもらうべく、近場に別荘を持っている友人たちを集めました。
でも、いざトランクルームの中身を開けて見ると、、、何と、しまってあった本や布類、何から何までカビだらけ! ヒェ〜! 皆さん、大事な物を保管するには湿度管理があるトランクルームでないとダメです!
屋外家具やランプ等、綺麗になりそうな物は友人たちに引き取ってもらい、要らない物は処分して、自宅に持ち帰った物はほんの少し。数年間のレンタル料が無駄になった訳ですが、余計な物はなくても平気、生活するには困らない、という教訓を学びました。
田舎のトランクルームを解約した勢いで、ニューヨーク市内にあったもう2つ分のクローゼットサイズのトランクルームの中身も処分、アカウントを解約し、その後、
自宅で収納できないモノは持たない主義になりました。
私はクリスチャンでもないのにクリスマスのデコレーションが大好きで、鉄製のクリスマスツリーの台や大量のオーナメントをトランクルームに保管して、毎年取りに行って家中の飾り付けをしていたのですが、プラスチックの収納箱3つに入る以外は処分しました。その後更に数年かけて、オーナメントの量を収納箱2つ分に減らしました。
私が死んだ後のために所有物を整理をする必要性は、2013年に実家の父(没年79才)を失くし、ひとりの人間が死ぬとその後始末がどんなに大変か、を経験した際に痛感しました。父は遺書も何も用意してくれなかったので後始末は大変でした。金銭的な事は、自社の経理の方にほとんど任せていたのでまだ良かったのですが、銀行口座も所有物も日本とハワイとフィリピンの三ヶ国に散らばっていたので、私と妹でまるでパズルを解くように、辛抱強く様々な手続きをしなければなりませんでした。私が米国に住んでいたのは幸いだったし、フィリピンへは出張を兼ねて行って手続きやモノの処分をしました。
こう書くと、遺産はごっそり貰ったのだろう、と思われるかもしれませんが、残された現金は驚くほど少なく、三兄妹が同意で全て母が相続するようにして、私は債務超過の子会社を相続し、自分の貯金をつぎ込んで立て直しに奔走することになりました。
私は一応元夫よりは長生きするつもりなので、私が死んだ後には娘には手伝ってくれる家族はいません。それまでに自分の家族を持っていてくれることを望みますが、娘は私のようにマメな性格ではないので、情報が整然としていないと非常に困ると思うし、私が経験したような苦労はかけたくないので、出来るだけ整理しておきたいと思います。
7年ほど前までは仕事場も別に構えていたので、使わなくなった仕事の道具、古いイラスト等も売れる物は売り、代表作だけ残して思いきって処分しました。と言ってもまだまだ沢山あって処分を続けなくてはならないのですが、最後には娘がまとめて大ゴミに出せば良いようにはしてあります。
もちろんこれからも制作は続けていくのですが、後の処分が楽なように気をつけます。
父が亡くなった時に私と妹が心配したのは「愛人はいたのか?」でした。ゴルフのためにひとりで何ヶ月もハワイやフィリピンに滞在した人だったので。母が見て傷つくようなものは、見られないうちに処分してしまおう、と急ぎましたよ。その時に、娘に見られたくない物は残すべきではないということも学びました。これはメールやメッセージも含め、です。
家族に対する苦情を、気のおける友達に書いたりするじゃないですか。それがその時だけの感情だったとしても、私が死んだ後に娘に見られたらどんなに傷つくか。娘は養子なので、自分に対する非難に過敏な性格です。非難される/文句を言われる=愛されていない、に結び付けちゃうのです。
なので、過去のやりとりを整理すると同時に、テキストでさえも
娘に見られたら困ることは書かない主義になりました。
正確に言うと、娘だけでなく、自分が書いたものは送信相手だけでなく、他の人にも見られる可能性がある、という事を念頭においてメールやテキストを書くようになりました。
父の死の2年後の同じ日に(はい、真実です)2歳年上の兄(没年58才)が亡くなった時は、自分もいつ死ぬかわからない、と整理の早急性を思い知らされました。でも、物と情報の整理、処分は時間がかかり、現在も続けているのでまだ死ねません。今年はコロナ禍、自宅待機のお陰でこの作業がかなり捗りました。
情報の整理には、契約している生命保険会社が用意してくれたリストの他に、クロワッサン誌の特別編集号、「人生の数だけエンディングノート」を参考にしました。まだ何もやってない方は、是非読んで用意しましょう。後に残される家族や友人のために。
私の死後に家族が必要な情報は、"If I die" (私が死んだら)というフォルダーに集め、娘にはそのフォルダーがある場所を知らせてあります。
その中には、弁護士/会計士等、連絡するべく人たち情報、やる事のリスト、埋葬の仕方の希望まで入っています。
遺書の作成はもう少しで終わります。
最近「デジタル終活」という言葉が使われ始めましたが、デジタルデータの整理をして、娘がアクセスできるようにしておかなければなりません。パソコンや大事なウェブサイトのパスワードのリストも作り、こちらは弁護士に渡して時々更新していくつもりです。まだ死んでいないのに見られて悪用されたら困りますからね。
埋葬の仕方ですが、私は日本の実家のお墓に入るつもりは全くありません。アメリカに骨を埋める覚悟は出来てますし、私が希望するのは土に戻って木の養分になる自然葬で、Capsula Mundi という「骨壺」に遺骨を入れて上に木を植える方法を指定してフォルダーに入れてあります。Capsula Mundiのウェブサイトはこちら(英語です)。もちろん娘には説明して承諾をとってあります。
これをするには自分が所有する土地が必要なのですが、私が土地を所有する前に死んでしまったら、ま、友人の土地に木を植えさせて貰えるだろう、と思ってます。アメリカは自然葬の法律が日本より緩いですし。娘が私の木の成長を見て、「ああ、ママが元気に育ってる!」と思って安心してくれたら嬉しいです。
終活を整えた上で、元気に楽しくシニア人生を送りたいと思います。
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