同時多発テロから20年。私のボランティアの話。


9/11でボランティアをしている筆者。
2017年に9ヶ月、9/11メモリアル&ミュージアムでボランティアとして働きました。

こんにちは。ココマスダです。


今日、9月11日は、娘が生まれた年に米国で起こった同時多発テロ事件から20周年目の追悼日です。


今まで何度も語ってきたのでご存知の方も多いと思いますが、私のトライベッカの自宅は、ツインタワーがあった場所、今は 911メモリアル&ミュージアムとなっている「グラウンド・ゼロ」、から歩いて5分。当時は同じビルの4階の中庭に面した1LDKのユニットに住んでいて、外に出ないとツインタワーは見えませんでした。翌年にツインタワーがあった南側の景色がよく見える33階の2LDKのユニットに移りました。このユニットが空き部屋になった理由は、以前住んでいた女性が、同時多発テロ事件の当日、炎に燃えるツインタワーから、犠牲者たちが次々と飛び降りる光景を見てしまい、それがトラウマになって引っ越してしまったから。


同じく、このビルに住んでいた友人も、たまたまツインタワーの隣のビルの友人宅を訪ねていて、もっと近くでそのあまりにも残酷な光景を目撃してしまい、彼女もまたコネチカットに移って行きました。


当時の個人的な記録は、10周年目に「ココマスダの個人的ニューヨーク便り」というブログに詳しく書いたので、興味がある方は読んでください。当時はブログしか書いていなかったので、敬語の使い方や言い回しなどおかしい箇所もあるのですが、敢えて校正しません。私の文章力の記録でもあると思うので。


9・11テロの思い出:その1


9・11テロの思い出:その2


9・11テロの思い出:その3


日本から千羽鶴、そして今度は日本へ


私はそれまでもその後も、すぐ近くであるに関わらず、マンハッタンのテロ現場であるグラウンドゼロには一切近づかず、「9・11のミュージアムなんて誰が見たいのだろう?絶対に行きたくない!」と思っていたし、近所の人たちや友人たちも同じように感じていました。でも、15周年目の追悼日に「もうそろそろ現実と向き合うべきだろう」と式典まで歩いて行きました。


犠牲者たちの名前を読み上げる遺族の方々の声を聞きながら歩き回り、そこに来ていた人たちと話をし、一緒に涙を流すうちに、何とも言えない仲間意識を感じ、「来て良かった。」と思い、自分の中で張り詰めていた何かが溶けていくのを感じました。私はその後、9・11のミュージアムでボランティアをする決心をし、トレーニングを受けた後、2017年の2月から11月までの9ヶ月間、毎日曜日の午後2時から6時までの4時間、ビジター・サービスのアテンダントとして働きました。ダサい(!)青いベストを着て。このベスト、借りるのですが、6ヶ月以上続けると自分のベストがもらえます。ベストにピンなど沢山つけているボランティアは、長いこと続けている先輩です。


(これに関しては、ブログで書いたつもりなのですが見つかりません! おかしいなぁ〜、なのですが、よくあるのですよ、頭で書いて実際に書かなかったこと。苦笑)


アテンダントとしての担当場所は、特別な式典でもない限りほとんどミュージアム内で、その日によって場所が変わりました。4時間立ちっぱなしで最初の頃は足がパンパンになりましたが、すぐに慣れました。世界中から訪れるビジターたちのお世話をする仕事は楽しく、充実していたし、記憶力が超悪い私が、9・11に関する事実や数を覚えて、ビジターたちの質問に答えなければならなかったので、頭の活性化にもなりました。


この経験で良かったのが、普段関わることがないタイプの人たちと接することが出来たこと。例えば、米国南部や中部から来た、普段は人種差別主義者であるかもしれない、保守的そうな白人の家族。ビジターでは多かったそういう人たちが、私と接して話をして、少しでも変わってくれたらいいな、と思ったりしました。片言で話せるフランス語やスペイン語を一生懸命使ってお世話をすることもありました。


日本人のビジターには二種類のタイプがいました。大多数は、日本語で話しかけると嫌な顔をするタイプ。母国語で話しかけられて嫌な顔をするのは多分日本人だけでしょう。「せっかくアメリカに来たのに、日本語で話しかけられたらムード台無しじゃないよ〜」とでも思うのでしょうか。ま、わからないこともないので、何度かそんなことがあってからは、そうだろうな、と思うタイプの日本人には英語で通しました。


日本語で話しかけると喜んでくれたのは、いかにも田舎から来ただろうと思われるおばさんやおじさんたち。

「いや〜、嬉しいわぁ〜。もう全然わかんなくて。」と喜んでくれて嬉しかったです。


ボランティアを辞めたのは、同じ年の夏に創立したCoCollaborations の仕事が忙しくなり始めて時間が取れなくなってしまったから。実は、ビジター・センターの仕事が楽しく、MoMaことニューヨーク現代美術館をはじめとする、美術館のビジター・センターの職につきたいと思って、半年以上就活をしたのですが、ほとんど面接もしてもらえずに終わりました。とほほ。メトロポリタン美術館など、ボランティアをするにも競争率が激しい、ということを知り、甘かった!なのですが、高校生のインターンでもない限り、何事も経験が重視されるのが現実です。


忘れてはいけないあの日ですが、アメリカはあれから人種差別が表面化し、トランプ大統領によってそれが激励されて悪化を続けています。アフガニスタンの戦争が終わったのは良くとも、残されてアメリカに裏切られた人たちは、今後どうなるのでしょう。そしてこの20年の間に、アメリカの「テロ撲滅」対策によって、罪もない家族を殺されたアラブ人の子達は、アメリカを憎み、テロとなり悪の循環を続けていくのでしょうか。


平和主義の私には、悲しい、としか言えません。

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