私の娘は養子です。その2


Photo by Ray Hennessy on Unsplash


ニューヨークのココマスダです。


お待たせしました。


私と元夫がどうして養子を迎えることになったのか、

どうして娘を家に迎えたのが六日後だったのか、について書きましょう。


私は小さい頃から子供が大好きで、母性本能も豊かな性格で、出来れば何人も子供が欲しい、といつも思っていました。養子を迎える、ということにも抵抗はなく、自分の子を数人産んでから、養子も迎えて育てたい、と思っていました。自分の遺伝子を継いだ子でないと嫌だ、とかそういう考えはもともとないんです。日本人としては変わっているんでしょうね。


だって、私は別に美人でも飛び抜けて頭が良いわけでもないし。それに、今時珍しく、長男で2歳年上の兄が女二人、男二人の4人も子供を持ったので、実家の益田家に後継ぎが必要だった訳でもないし、嫁ぎ先ももう男の子がいるからオッケー、と。


とにかく母親になりたい。母親になれないと自分は完成しない、というのがありました。


それなのに、2回とも結婚した相手に問題がありまして。

それについて語ると個人のプライバシーの侵害になってしまうので残念ながら語れません。

精子が弱かった、ではないです。

いつか書いて、悩んでいる人の助けになりたい、とは思うのですが、もうちょっと待ちます。


2回目の結婚では、何とハネムーンで妊娠したんですが、妊娠2ヶ月を過ぎた頃に流産に終わりました。

親にももう妊娠を知らせてしまっていて、これは本当に悲しかったです。

この育つ事が出来なかった子を思って、インゲンの鞘に入ったお豆に顔がある絵を描いてピーポッドと名付け、その絵を見ては泣いてました。


流産した数日後に、元夫の実家で家族が集まるディナーがあって、何と、彼の妹が妊娠してもうすぐ子供が生まれる、っていう事を発表し、皆で祝福して、いや〜、これは辛かったです。そっとトイレに言って泣きました。元夫は私の悲しみに全然気がついてませんでしたが。


産婦人科のお医者さんには、「大丈夫。あなたは健康だし、またすぐに妊娠するから。」って言われたんですが、ま〜色々ありましてね。

不妊治療は、元夫が協力的ではなく、人工授精を一回だけしましたが不成功でした。

それが非常に屈辱的で辛かったんですね。

自分が牛か何かのように感じ、もうしたくない、自然に子供を授かれないのなら諦めよう、と思いました。


親友のひとりが、私よりずっと先に結婚して、不妊治療を何年も続けて、

体外人工授精も何度もやって、貯金を使い果たしただけでなくて、

精神も夫婦仲もボロボロになったのを見ていたので現実的になれました。

彼らの場合は最後に双子を授かってハッピーエンドに終わったのですけど。


私には仕事もあるし、子供がいなくても幸せになれる、と自分に言い聞かせ、

その手の本も読みあさって2年ほど経ちました。

自分でアップステートに別荘も買って、リフォームしたり、気を紛らわせようとしました。

でも、乳母車を押している母親を見ただけで涙が出るし、やっぱりダメ。

完全に神経衰弱になっている状態でした。


ある日、スーパーで買い物をしている親子を見て泣き出し、

家に帰って、元夫に「養子を迎えたい。」と伝えるとすんなり、「いいよ。」と。

それから養子縁組について調べ、知り合いが使って二人の養子を迎えたSpence Chapin というアダプション・エージェンシーと契約しました。


良く考えた上で、私が希望したのは中国孤児を養子にする事。

やっぱりアジア人の子を育てるのが自分には一番自然だろう、と。

中国からの養子縁組は女の子のみ。私は女の子でオッケー。

子供が欲しいのは私だったし、養子縁組にかかる費用は全部私が出しましたから、元夫はそれにも反論なし。


実家に帰った時に私の養子縁組の計画を両親に話すと、母親は反対しました。母親になりたい私の苦しみは良くわかっていても、「身も知らない中国人の子を養子にするなんて!世間体もあるし。」と。そうしたら、それまで聞かぬふりをしていた父が、「日本人も他のアジア人も同じアジア人だ!関係ない!」と突然言ったんです。驚きました。父は実業家で、香港やフィリピンに頻繁に出張に行ったりゴルフをしたりしてきた人ですから、普通の日本人に比べて偏見がなかったのでしょうか。ありがたかったです。


養子縁組の手続きは大変なものでした。

身元が細かく調べられるだけでなく(これは子供のために良い事)、ホームスタディーという分厚い書類を仕上げるのにかなり時間がかかりました。はっきりとは覚えていませんが、一年ぐらいかかったかなぁ〜。


養子縁組を希望するには収入が安定している事は必須でしたが、日本とは違って、独身女性で養子を迎えることもオッケーでした。ずっと一人で子供を育てていく決心をするのは並大抵なことではないと思いますから、そういう女性は心から尊敬します。


そして、ホームスタディーも完成して、私たちが養子にする孤児の子も候補が決まったみたいで、名前も考え始め、中国に迎えにいく事を計画し始めた矢先にエージェンシーから連絡がありました。


妊娠8ヶ月の白人の高校生の女の子がいて、生まれて来る子を養子に出す事を希望している、父親は韓国系アメリカ人。こういうケースには珍しく、二人の家庭はちゃんとしているし、ドラッグの問題とかもない。生まれて来る子は白人とアジア人のハーフになるから、養子縁組をする夫婦も白人とアジア人の組み合わせである事を希望している。でも、オープン・アダプションでなければならず、将来子供とは交流ができる事を希望しているが、興味があるか、と。


興味があるなら、自分たちを紹介するアルバムと手紙が必要。その締め切りは一週間後。

そして、育ての親の候補は5組いて、産みの親たちが育ての親を選ぶことになる、と。


ええ〜?!! 一生の決心を一週間でなんて!


もちろん、白人とアジア人のハーフの子、そして乳児を養子にできるなんて夢のような話。

中国孤児を養子にしたら、乳児ではありません。

その頃、ファッションデザイナーのベラ・ウォングの二人娘がハーフで養子、という記事を読んで、そんな事は大金持ちでセレブにしか叶わないのだろうな〜、と思っていたのです。


と同時に、もう自分たちの子になると思っていた中国にいる子に何と申し訳がない、という気持ちもありました。


そしてオープン・アダプション! その場合、養子縁組の事実は封鎖されず、産みの親は養子に出した子に会いに来られる。産みの親がわからない中国孤児を養子にするのとは全く事情が違います。


産みの親と育ての親でお誕生日会を祝っているシーンなどが撮られている、まるでプロパガンダのようなビデオを渡されて、悩んでしまいました。自分たちはそこまで寛大になれるのか?


でも、時間はありませんから、まだ決心がつかないうちに自分たちをアピールするアルバムの用意に取り掛かりました。私たち夫婦は二人ともグラフィックデザイナーでしたから、そういう作業はプロ。ニューヨークにいる元夫の家族、私の日本の家族、友人関係や別荘の写真なども交えて、生まれてくる子にどんなに豊かで、愛に溢れた幸せな家庭を与えられるかをアピールしたアルバムを作りました。


アルバムを作り、手紙も書いているうちに、こんなに素晴らしい機会はない。私たちを選んでもらえたらこれも運命、と気持ちが固まってきましたが、何しろ候補は5組いるのであまり楽しみにする訳にはいきません。

これは複雑な気持ちでしたよ。


でも、、、私たちが第一候補になり、先ずはエージェンシーで産みの親と対面しました。とても感じがいい若いカップル。産みの親が二人揃って来るのもかなり珍しいらしいです。無事気に入ってもらえて、日を変えて外で食事もしました。はっきり言って、親戚になる訳ですからお見合いみたいなものです。お互いに気に入らなくてはなりません。でも合格。


娘がロングアイランドの病院で生まれた日、私たちはコストコで買い物をしていました。

電話がかかってきて、急いで駆けつけて、私たちが娘に会ったのは生後6時間後。

もちろん嬉しかったですよ。でも、産みの親に抱かれている彼女を見て、私の胸は締め付けられました。

先ず、子供を産んだ彼女が羨ましい。そして産みの親から離される子があまりに可哀想。

そしてまだ中国孤児の子に申し訳ない気持ちは消えてませんでした。

まだ会った事がない子供が恋しい、というような複雑な感情でした。

病院のカフェで泣く私を見て、元夫は同情をするどころか怒りました。


Don't ruin this happy day!

(どうしてこんな幸せな日を台無しにするんだ!)と。


でも、その段階でその赤ちゃんが私たちの子になる事が確定した訳ではないんです。

法律で、産みの母親は一定期間気を変える事が許されています。

母親が辛くなる事を避けるために母乳は与えず(母親が希望しなければ、です)、考える時間を与えるために、乳児は6日間フォスターファミリーに預けられます。


そして、育ての親は、赤ちゃんのためのナーセリーから何から用意して

家族として迎えて愛さなければならないのに、

産みの母親は3ヶ月間気を変える事を許されているんです。

やっと慣れた頃に引き離される可能性もあるんです。

気を変える母親だっているでしょうね。映画でそんな場面を見た事があります。

養子を迎える覚悟をした方は辛いですよ。


六日後、マンハッタンのエージェンシーの一室で、アダプション・セレモニーと呼ばれる、

産みの親から育ての親に赤ちゃんが渡される儀式が行われました。


これがまた私には辛い日で!

元夫は太っていて、多分赤ちゃんも抱かれ心地が良いのでしょう。

彼が娘を抱いても大丈夫なのに、

私が抱くと泣き出したんです。産みの母親が見ている前で何度も!

これは辛かったですよ〜。涙

最初から母親失格!という気がしました。

仕方がないので元夫に抱いてもらって車まで戻りました。


産みの親たちがどんなに辛かったか想像が出来ます。


その日は夫は大ハッピー。

子供が欲しかった方の私は複雑な気持ち、でした。


という訳で、娘を家に迎えたのは生後六日後でした。


次回に続きます。



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