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実家を片付けて売ってきた体験談です。



こんにちは、ココマスダです。

しばらくご無沙汰していましたが、みなさんお元気ですか。


4月2日に東京での3週間の滞在を終えてニューヨークに帰ってきてから仕事が忙しく、ここ数週間は、出来るだけひとりで過ごして遅れを取り戻すべく頑張っています。この文章は日本からの帰りの飛行機で書き始め、終わらずにそのままになっていたのをやっと書き終えました。


今回の一時帰国の理由は、去年の師走に売りに出した母の2LDKのマンションに思いがけず早くに買い手がつき、とんとん拍子にことが進んで、3月31日に契約終結が決まって私物の片付けをしなくてはならなかったため。実家を売ってしまったことは、すでにFacebookでお知らせしましたね。


そのマンションは、母がエレベーターを使わないで済むユニットを望んだため、ほとんどの人が望まない(だろう、と私が思った)一階にありました。管理費が平均よりずっと高く、浴室にはアスベストも使われていて(売りに出してから判明しました)本当に売れるのか、と懸念した物件だったので、若い独身の男性が買うことを決心してくれたのは驚きでした。


その上に、ベッド2台と母の桐のたんす2棹と電化製品を除くすべての大きな家具を引き取ってくれる嬉しい条件。私が仕事場兼寝室にしていた部屋の仕事用デスクと椅子とプリンターまでそのまま置いていっていいと。

大きな家具を処分するには、売れないどころかお金を取られることが多くて時間もかかるので、この条件は本当にありがたかったです。母が倒れて介護ホームに住まいを移してから数年の間に、出来るだけ物を処分してきたし、


1週間ぐらいで片付くかな、と思ったのが甘かった!


帰国してから16日目の3月26日に買い手の「契約前の最終確認」があり、「それまでに私物はすべて処分しておきます。」と約束したにもかかわらず終わりませんでした。「契約前の最終確認」は、米国では Walk-through:ウォーク・スルーと呼ばれて、最終契約 (Closing:クロージング)の寸前に行われるのですけど、東京では移動が難しいからでしょうか、多忙な買い手さんの都合で、契約日の5日前の土曜日でした。


ひとりの人間の人生を片付けることがどんなに大変かは、すでにご実家やご家族の家の片付けをしたことがある方は痛いほどおわかりでしょう。特に、アルバムの写真や思い出の品の処分は難しいですよね。


私の両親は、2013年に父が急死する数年前に、私が中学・高校生時代を過ごした、屋根裏もある2階建ての一軒家からマンションに引っ越してくれていました。「お手伝いさんを入れないで自分だけで掃除ができる」小さなマンションに住むのは母の夢で(そんな夢があるのかいな、と当時私は思いましたが、今はよくわかります)、母の夢は叶ったわけです。でも、ゴルフ場へ通いやすく、野球を見られて、時々会社に顔を出すのに便利であれば住まいなどどうでもよかった父が、1番目に内見したマンションに決めたそう。ええ〜っ、それはちょっと!(汗)ですよね。少なくとも5件ぐらいは見るべき。その引っ越しの際にかなりの物を処分してくれたので助かりましたけど。


父は結婚してから何度もした引っ越しの手伝いなど一切しなかったようです。家族の大事なイベントよりゴルフのコンペを優先する人でしたから。もちろん引っ越し屋さんは雇ったと思いますが。それに文句を言わず、いつも忙しい子供達にも手伝いは頼まなかった母。なので母は(後でわかったのですが)近所の人たちを呼んで、欲しいものを持って行ってもらったみたいです。近所の人にあげてしまった物の中に、長女である私が継承するはずだった大きな雛壇のセットがありました。当時はそれを恨めしく思ったのですけど、今になると、処分してくれて良かったのかもしれない、と思います。娘は欲しくないでしょうから。他にも私たち兄妹の物を含め、知らないうちに色々なものが沢山処分されました。


母の心意気に習い、自分達の住まいに要らない物を増やさず、同時にゴミを出来るだけ出さないことをゴールに、次の順番で物を処分していきました。


① データ化できるものはした後でゴミに出す。

② 自分達が使えるものは引き取る。

③ 親戚や友達に貰ってもらう。

④ 売る。

⑤ 無料で他人に譲る。

⑥ 捨てる。


以下、これからご実家の物の処分をしなくてはならない方達のために、それぞれの方法について私の体験をお話しします。知る必要がない読者は最後に飛んでください。


① はアルバムの写真やパスポート、手紙など。私は仕事柄スキャナーを持っていたので自分でスキャンしたのですが、非常に時間がかかる作業でした。絞って選んだ写真だけ処理したにもかかわらず、数年間かかりました。思い出に浸ってしまう時間が多すぎて。この作業を将来する必要がある方は、待たないで始めることをオススメします。暇はあるけどスキャナーを持っていない方は、買って作業する価値があると思いますけど、やってくれるサービスも沢山あるようです。


② 自分の住まいには出来るだけ物を増やさないように吟味して引き取りました。着物類、母の書道作品や資料、気に入った和食器や調理器具など。高価でも自分や娘の趣味ではないものは見送りました。


③ 千葉に住んでいる叔父夫妻が、驚くほど大量の食器や花瓶、母の洋服等を引き取ってくれました。彼らは、父が亡くなった時も、父の洋服を沢山持っていってくれたそうです。ありがたいことですけど、彼らの自宅は、趣味が揃っていない物で大変な状態になっていないだろうか、と余計なことを心配してしまいます。


④ 幸い東京在住の妹が車を持っているので、週末には手伝ってもらえました。以下は、物を買い取ってもらうのに私たちが使った店やサービスです。


ブックオフ:私が引き取った以外の本と、母の服で2、3、4をやってから残った物を持っていきました。すべて二束三文でした。マンハッタンにもブックオフはありますけど同じこと。電車賃にもならないほど。捨ててゴミになるより誰かに売ってくれた方がいい、の覚悟でないとガッカリします。買い取ってくれない物は引き取って捨ててくれますから、持って帰る必要はありません。


メルカリ:メルカリに投稿して売る作業は楽しかったです!目的はお金を儲けることではなく、短期間に物を処分することだったので、「実家の整理をしています。ご協力ください!」というプロフィールで、購買層を想像しながら説明文を工夫し(プロなので。笑)、送料込みで売れ筋の値段をつけたら面白いように売れました。ブランド物はもちろん、毎日周りを見回して、どんどん出品しました。私にはどうでもいい、フクロウの形のスワロフスキーの置物には数分で買い手がつきました。ヘェ〜、でした。

徒歩圏内にあるダイソーとオリンピックという小さめスーパーストアで梱包用品を買い、ファミマから発送。ほぼ新品のシャネルのスカーフを数千円で買ったあなた、ラッキー!フォンテーヌのカツラをご購入になった方からは「病気でカツラは必需品なので、幸運な日でした。」とメッセージが届き、中古のミハマの靴を買って下さった方が「田舎に住んでいてなかなか買えないので」と喜んでくれました。


参考に、ミハマの靴の投稿のコピーを以下に載せておきます。リサーチをして商品として扱い、安心して買ってもらえるようにすることは大切です。


横浜、元町で生まれたMIHAMA(ミハマ) 定番のフラットシューズ。(NC7)

キラキラと輝くオーナメントは目立ちすぎず、さりげないアクセント。

日常のコーデにもオフィスコーデにもオススメです。

大事に履きましたが、ヒールはもうすぐお取り替えが必要です。中古品・長期保管品であることをご理解のうえでのご購入をお願いします。


カラー···ブラック、黒型押の革製。

ヒール:0.5cm

甲革:牛革

裏革:馬革

敷革:人工皮革

つま先···ラウンドトゥ


宮本商工:父のゴルフのカップと商品の銀製品は、銀座にある銀製品を扱うこの店に持っていきました。純銀の物だけ引き取ってくれます。銀メッキはダメ。手厚いプロのサービスで感動します。置物のガラスケースは、美術大学の教授である義理の弟が、「学生が使えるから」と引き取ってくれました。


バイセル:着物とミンクのコート等は、妹と一緒に有楽町の交通会館の支店に持って行って査定してもらいました。ブックオフと同じく、あまりの安さに呆れて要らないのに持って帰ってきてしまいました!ミンクの毛皮のコートは3千円、着物は振り袖でも千円〜2千円でした。着物は、買う時には高くても、売れない、とは聞いていましたが本当でした。結局、子ども用の着物はジモティーで貰ってくれる人(お父さんが娘に、と)を見つけ、振袖は成人式前の孫がいる四国に嫁いだ叔母が貰ってくれました。お友達にも譲る、と。毛皮のコートが欲しい人は見つからなかったので、妹にお願いしてまたバイセルに買ってもらうことにしました。ロシアに売られるのかな〜。苦笑


⑤ 無料で譲るのにはジモティーを利用したのですが、やってみて良かった!と思わされた素晴らしい体験でした。ジモティーのHPに「必要なものを必要な人へ・あなたのいらないが誰かの役に立つ」と書かれていますが、その通り。数年前に妹が教えてくれたオンラインサービスですけど、知らない人と待ち合わせたり、家に来てもらったりするのは嫌だな〜、と思い、利用するのを渋っていたのです。でも、今回メルカリで売れるものも尽きて、大きめの物はどうしよう、と途方にくれている時にハッ、と思いついたのです。


引き取ってもらう日時を交渉し、決めた時間にマンションの前に物を出して置いたらどうだろうか、と。


無料で貰ってもらう物ですから、他の人に取られても構いません。万が一取られても責任を負えないことは説明文に書きました。そして、マンションは売ってしまうのですから、変な人に住まいを知られても困りません。これをいつもやっていたらマンションの住民から文句が出るだろうな、とは思いましたが、短期間のことです。親切な管理人さんからも承諾を得ました。ジモティーのアカウント名はもちろん匿名でしたが、信用してもらうために顔写真は載せました。


無料で譲るにしても説明文は工夫したので、いつもはあまり褒めてくれない妹が「お姉さんのコピー、素晴らしいわ!参考にコピペしておいた」と感心してくれて嬉しかったです。


約束しても取りに来ないかドタキャンが多いだろうな、と期待度低く始めたのですが、皆さん時間通りに取りに来てくれて、引き取ったことをジモティーで報告してくれてサクサク進みました。これをやっていたのは2週間弱でしたが、私のアカウントの評価はどんどん上がり、フォロワーも増えました。小さな家具から母が集めた大量のボタン、キッチン用具や大小まとめてセットにして出した食品保存容器まで、何でも引き取る人がいたのは驚きでした。一番人気はスポーツ用品でしたね。バトミントンのラケットや、母のゴルフクラブのセットには沢山の引き取り希望者が集まり、引き取り者決定、と表示した後にも欲しい人からの連絡が絶えませんでした。


一度だけ引き取り主とかち合って、、、。ピクチャーレールを取りにきた人だったのですが、デザイナー風のとてもハンサムな中年の男性で、「お茶でも一緒にどうですか」と誘いたかったぐらい。笑 「ニューヨークのティファニーで買ったローズボウルは使えますか?」と言ってあげてしまいました。メルカリでなかなか売れなかったので。そうしたら、「投稿も対応も普通の人のレベルではなくて、気持ちよく取引ができました。かなり頭がよい人だと思います。」というレビューを残してくれました。あはは。


ピンクの毛布の引き取りを希望し「娘が大きくなって添い寝ができなくなったので」という人に他の寝具も提供すると、「家族の分までいただけて感謝感激です!」と、買ったら高い食器のセットは「妻が大喜びしています。ありがとうございました。」とコメントが届き、庶民に小さな幸せを届けられたみたいで嬉しかったです。お礼をしたがる方もいましたけど、丁重に断りました。


人を助ける行為は自分を幸せにしてくれるのだ、としみじみ感じました。


お風呂用の椅子と桶や、私がマンションから撤退した最後の晩に使った簡易マットレス、毛布、枕と枕カバーまでも引き取り手が見つかったのには驚きました。お風呂用の椅子と桶の投稿には「綺麗に洗っている時間がないので、お掃除用品をおつけします。」と書き、寝具もきちんとブランド名を書き、朝一番に「枕カバーを洗う時間がなかったので、お手数ですが洗ってください。洗剤を添えておきます。今日のお昼までに引き取っていただける人のみお願いします。」と投稿したら、数時間で無事取引完了。

私がニューヨークに帰ってきてから、妹が彼女のマンションでジモティー取引を試してみて成功。感動して報告してきました。


ジモティー凄いです! 是非お試しください。


⑥ 冷蔵庫、洗濯機と乾燥機と古いテレビの処分には、区のリサイクル制度を利用しました。私の実家があった大田区の場合、郵便局でリサイクル券を購入して、決められたリサイクル場まで届けるシステムでした。日本のお役所の申込書の御多分にもれず、リサイクル券購入用紙の記入が非常にわかりにくくて面倒だったのですが、私には引っ越し・便利屋さんの甥っ子がいてバンも持っているので、配送は引き受けてくれました。とても頼りになる甥っ子です。

大きな家具で廃棄物になったのは、ベッドとマットレス2台、そして桐のタンスです。これらは気軽に持っていかれる物ではないですからね。短期間ではジモティーでも引き取り手が見つかりませんでした。母の桐のタンスは、珍しく洋風仕上げでかなり高価な物だっただけでなく、長年愛用した家具なので、どなたかに使ってもらいたかった!でも甥っ子が言うには、着物を沢山所有して桐のタンスが必要な裕福層は中古家具など欲しがらない、と。かなりのブランド物であれば中古でも引き取り手が見つかる場合もある、と。そうか〜、そうですよね。それでなくても日本人は新しい物好きですからね。


私が引き取る物は、スーツケースをひとつ買って持って帰れるだけ持ってきただけでなく、船便を4箱ニューヨークに送りました。コロナ禍で以前はあったサービスが提供されていなくて、他の選択はほぼ無し。荷物がこちらに届くのは4ヶ月ぐらいかかりますが、ま、届けば良いし、無くなってもいいか、の覚悟です。もう物への執着心はありません。


日本から海外に荷物を送るには、Japan Post の「国際郵便用マイページ」に登録しておくと便利です。かなり前時代風のウェブサイトですが!こちらへのログインは、ゆうびんポータルへのログインとは別なのでご注意を。


こうやって3月25日に無事実家の片付けを終え、マンションを退去してホテルに移動。これから一時帰国をしたら宿が必要になりますから、残りの1週間で、3箇所のホテルとAirbnbを試してみました。丁度お花見の時期で空室は少なく不覚。真ん中の六本木の外国人向けAirbnbは、アメニティが充実していて気に入りました。右の部屋は、羽田空港のターミナル1内にあるホテル、 FIRST CABINの女性のみが出入りできるエリアの、なんちゃって「ファースト・クラス」の部屋です。ニューヨークへの帰りの便が早かったので試してみたのですけど、一晩泊まるには十分でした。バス・トイレは共用ですが、(小さな)大浴場が付いているスパのバス・トイレみたいな感じです。朝早くに支度をする出張中の若いビジネスウーマンたち(勝手な想像)で混み合っていました。



日本に置いておきたいものは、ふたつの箱に詰めてMinikuraに保管。日本での住所が無くなったので、臨時に妹夫婦の住所を借りました。今後どうするか、はこれから検討します。


実家の物の処分を3週間以内で済ますのは本当に大変で、時間との戦いでした。仕事の用事で外出した以外は朝から晩まで作業していました。その間にリモートで仕事もこなしていたし。滅多に「疲れた」と感じない私が、肉体的にも精神的にもクタクタになりました。


マンションを退出した次の日には、ちょっと早めでしたが母の一周忌を行いました。法事は早い分には良いようです。参加者は乳児を含めた9人。四国に嫁いだ父方の叔母がわざわざ上京してくれたのは嬉しかったです。まだコロナ禍だったので、法事の後の会食は避けてお弁当を手配。


喪服の着物を着たかったのですが、自分で着れないので諦めましたが、日本人なんだから着物ぐらい自分で着られないと!と思っています。着付けを習得し、そのうち日本から届く着物を活用する決心をしました。ちょうど夏になるので浴衣から始めます。


さぁ〜て、両親を亡くし、実家も無くなって、あとは娘が大学を卒業すれば、それからの人生は自分次第。どういう航海になるだろう、と今から楽しみです。


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