救急病院に担ぎ込まれて、老後のことを考え始めました。



こんにちは。ニューヨークのココマスダ です。


コロナ禍で多くのニューヨーカーと同じく、田舎に家を持ちたいという気持ちが強くなり色々探してきたのですが、老後のことを考えさせられる出来事がありました。


9月の11日、金曜日の朝、いつも通りにコーヒーを入れた後、寒さを感じたので窓を閉めようと立ちました。窓まで歩いていく間、急に背中の左の腰のあたりに痛みを感じ始めて、あれっ、どうしたのかな、と思いました。その部分は、数ヶ月前から時々軽い痛みを感じていて、どうにかしなきゃな、と思っていたのですが、それは激しい痛みでした。


その痛みはどんどん増して体の前の方にもきて、背中が痛いのかお腹が痛いのかわからなくなったほどで、同時に左足に痺れを感じ始めて、床に崩れ落ちるように倒れました。お腹が痛いように感じたので、便秘?盲腸?と疑問が頭を駆け巡りました。


「痛い、痛い」と床に倒れたまま苦しんでいるうちに、両手が痺れてきました。私は一度、お腹の風邪だったかひどい下痢になった後に脱水症状になったことがあるのですが、その時の感覚です。


まだ寝ている娘を呼ぼうにも声が出ません。しばらく娘のボーイフレンドがうちに泊まっているので(この夏は2ヶ月滞在。一旦モントリオールの大学に戻ったのですが、ほとんどオンライン授業ならしく、また戻ってきました。)彼女の寝室のドアは閉まっています。


電話しよう、と思いながらiPhoneは自分の寝室にあることに気がついて、這うようにして寝室まで行ってiPhoneを取り、ベッドに崩れながら自由に動かせない手を何とか使って娘に電話しましたが出ません。彼女、寝ていると、どんなに電話が鳴っても起きない子なのです。


痛みは激しく、手足は痺れて硬直したようになり、「痛いよ〜、痛いよ〜」と半泣きで苦しみました。もう一度娘に電話しても出ません。どうしたらいいかわからず苦しんでました。


でも、2度目の電話で起きたのでしょうか、娘が部屋から出てきて私の状態を見てびっくりして、

”Mommy, what happened?!" (マミー、どうしちゃったの?)と慌てた後、

"Quentin, Come! Something happened to Mommy!" (クエンティン、来て!マミーがどうかしちゃったの!"

と彼を呼びました。


その後、冷凍庫で冷やしてあるアイスパックで痛いところを冷やし(娘が頻繁に怪我をしたので、アイスパックは常に用意してあります)、

水を少しずつ飲み、痛み止めも飲ませてもらい(私の側にいて指示を出すのは娘。動くのは彼氏。苦笑)、

かかりつけのお医者さんに何度電話してもらってもホールドになるだけで繋がりません。

救急車を呼ぼうとする娘に、「救急車は呼ばないで!」、と懇願して(コロナで忙しいのだから迷惑はかけなくない、という気持ちと、娘のために救急車を呼んだ時に後で1,500ドルの請求がきたことの経験もあり)、

救急病院とUrgent Care (アージェントケア)と呼ばれる救急医療センターに行くか検討しているうちに、だんだんと痺れと痛みが柔んでいきましたが、立って歩こうとしたらまた痛みが増して床に伏してしまいました。


娘は強気でいましたが心細かったのでしょう、父親、車を持っている私の元夫に電話してしまい、結局彼が救急病院に連れて行ってくれることに話が進んでいました。こんな時に、付き合っている彼氏ではなくて別れた夫に来てもらうなんて! 考えちゃいましたがありがたいことです。元夫が運転している車に私と娘とクェンティンが乗りました。これも現代的な家族の形なのかな〜、と思いましたね。


救急病院では現在、コロナ禍のために付き添いはひとり、ということで娘が受付まで付き添ってくれたのですが、救急病院は、診察が終わるまでに何時間かかるかわかりません。アスリートだった娘の怪我で、救急病院には何度も行ったので慣れています。その頃には大分痛みも治まったので、車を取りに行って待っている、という娘に、連絡するまで彼と家に帰っていなさい、と言い聞かせて帰しました。彼氏に連絡しようかな〜と思いましたが、娘が頑張ってくれているし、心配させて来てもらっても仕方がないので、事後連絡をすることにしました。


いつもは混雑している救急病院は、コロナ禍のためなのかほとんど患者がいず、診察は結構早くに受けられました。若くてとてもハンサムな(ふふ!)お医者様に状況を説明すると、私は原因不明の腰痛を起こし、あまりの痛みのために、パニックアタックを併発したのだそう。手足の痺れや硬直は後者のためだそうなのです。ヘェ〜、私がパニックアタック!かなり意外でした。

「よくあることだよ〜」という感じで、痛み止めと筋弛緩薬を飲ませてくれて、サロンパスのような消炎鎮痛剤のパッチを患部に貼ってくれただけで帰っていいことになりました。処方箋の薬も何も無し、です。

娘が駐車場から取ってきたマイカーで帰宅しました。


その日には、最悪にも翌日にイラストの仕事の締め切りがあったので、仕事しましたが大丈夫でした。


次回このような腰痛が起こったら、先ずはとにかく冷やすこと、と言われました。


後で元夫と友人たちと話すと、元夫は過去に2回、3人の友人も最近急な腰痛に苦しんだことがあるそう。そっか〜、年の所為なのか、と自分の歳を始めて実感しましたよ。私は病気もしないし、同年代よりもずっとスタミナもあるし元気、と思ってきたので結構ショックでした。今回のことは大事に至らず幸いでしたが。


田舎の家を見に行った時に、「マミー、こんなところにひとりで来るの?」って心配していたのですが、その心配通りのことが起こってしまった訳です。今年になってから、娘は三月の自転車事故の時と、今回の2回とも私を助けていますから、もし田舎の家にひとりでいてこれが起こったらどうしただろう?と考えてしまいました。都会のマンションだったら、廊下に出ればそのうち誰かが気がつくだろうし、なんとかエレベーターに乗って下まで行けばドアマンもいます。それが何エーカーもある土地の家にひとりだったら誰もいない!


出来るだけひとりでは行かないこと、頼れる友人が近くにいること、医療機関が近くにあること、等を考慮する必要がありますね。東京でも孤独死は増えていますよね。まだまだ、とは思いながらも。それは人ごとではない年になってきた訳です。


父が亡くなった後に東京で一人暮らしだった母は、毎週三回ジムに通って足腰を鍛えていたにも関わらず、ベッドから立とうとして崩れ落ち、リビングに置いてあった携帯に行き着くこともできずに1日を過ごした、ということがありました。それが他人事ではなくなりました。


娘の産みの母親のお母様、娘の産みの祖母に当たる人は、なんと51歳の時に、仕事(看護婦さんでした)から帰ってきて倒れてそのまま亡くなりました。多分脳梗塞。


「マミー、首にかけてすぐボタンを押せるやつ、かけといてよね。」と娘が笑って言いましたが、それも冗談事ではないですね。いつ何が起こるかわかりません。今回の経験で、スマホは常に手に届くところに置いておかないとなぁ〜、とは思いました。


それと今回わかった大事な事。

普段は英語で話す方が楽なぐらいの私ですが、

痛みで苦しんでいる時に使いたかったのは日本語だったのです。

面白いですよね。日本語がわかる娘が近くにいて本当に良かったと痛感しました。

重病で入院したりして、ある日突然英語が話せなくなる日が来たりすることはあるのでしょうか。

そうすると、もし私に介護が必要になったら日本の方が良いのか。

骨を埋めるのは娘がいる米国、とずっと思っているのですが、それまでのこと、う〜ん、考えちゃいます。


備えあれば憂いなし。

は私のモットー。


田舎の家の購入は一旦中止して、介護付き老人ホームとか、ニューヨーク近郊にはどういう施設があるのか調べ、値段は幾らぐらいかかるのか、資料を取り寄せることにしました。東京の施設は母のために、妹と一緒に色々と調べて相場がわかりましたが、こちらの施設の事は全く知らないので。日本よりずっと高いと思います。シニアコミュニティーとかも色々ありますが、そういうところに入居する希望はないのですが、、、。


娘は頼りになりますが、介護ができる性格ではないしさせたくもありません。私の彼は介護ができる優しい性格で、実際に肺癌で亡くなった前の彼女(10歳年上!)を2年間介護して看取っています。でも私より年上で来月67歳。介護するとしたら私の方じゃないかな、とは思うし、自分に介護が必要になることを想像はしたくありませんが、こればかりは誰にもわかりません。何時何が起こるかわからない、と思わされた今回の出来事。


クリエーティブ達が独立して暮らせるけど、必要な時には日本語のケアが受けられるシニアコミュニティー、作っちゃおうかな、という考えも浮かびました。米国にそういう施設があったら最高。


娘に出来るだけ迷惑がかからないように老後の事をちゃんと計画し、少なくともいざという時の資金を用意した上で、どこで何をしてどう人生を楽しみたいか、を決めることにしました。


 

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