皆さん、大変ご無沙汰しました。ココマスダです。
去年の初めにコロナ感染について書いてから1年間ブログを更新できなかったのは、1日も完全にオフの日はないほどよく働いたから。先ずは、ひとつのブランドのサポートにどっぷり浸かったのと(それに関しては後で)、去年はコロナ禍が落ち着き、日本企業が海外への活動を再開し、日本と欧米への橋かけのサービスを提供しているCoCollaborationsは、お陰様で急に忙しくなったのです。
コロナ禍の間の2年間、仕事をすることが無くなったコラボレーターたちとも交流再開で、それはとても嬉しいことでした。日本からのインバウンドも増えて、通訳家のコラボレーターたちを手配する業務も戻り、将来のためのネットワーク作りも積極的に行いました。
去年はAIが驚くべき進化を遂げて、IT業界が目まぐるしく変化していった年でもあるので、運転している間はポッドキャストを聴いて新しい情報をゲット。若い人たちに混じってセミナーやワークショップに参加して、スキルアップにも努めました。気持ちだけは若くても、脳の衰えは否めないですからね〜💦 毎日が勉強です。
有給休暇を取って休むことなど出来ないのが自営業の辛いところ。それに、リモートビジネスを営んでいると、どこでも仕事が出来ると同時に、自分でけじめをつけないと、休みなく働くことになります。週末も関係ないし、こちらの日曜の夜は日本の月曜の朝ですから、ゆっくりも出来ません。それが去年の生活でした。
まさに、When it rains, it pours = 降れば土砂降り。アメリカでは、24時間・週7日ずっと年中無休なことを24/7(twenty four seven) といいますが、そんな感じでした。
ただ、田舎の家に住んでいることと、料理はすること、3時のコーヒータイムは欠かさないこと、連れ合いが公私ともに手伝ってくれることと、愚痴を言える女友達に恵まれていることで私の精神状態は健全に保たれました。数日家から一歩も外に出ないことも多かったのですが、料理をしている間とドリップコーヒーを淹れている間は、キッチンの窓から、リスたちが走り回り、鳥たちが餌を入れている筒に集まって来るのを見て幸せな気持ちに浸りました。用事があってマンハッタンに行く(「帰る」から「行く」と心境の変化!)こともありましたが、出来るだけ早く田舎に舞い戻りました。
年末年始に連れ合いをかまってあげられないことはわかっていたので、クリスマスの後にマンハッタンに帰ってもらい、大晦日と元旦は、田舎の家でひとりで過ごしました。(連れ合いとの関係は別投稿で!)近所の友人から誘いも来ましたが辞退。
仕事納めをしたのが大晦日の午後。いささか疲れたし、今年は生活習慣を変えなければ!という気持ちもあり、「お正月三ヶ日はお休みを取って、4日以降に続行します。」と、今関係しているクライアントに連絡した後、プライベートのプロジェクトを片付けました。それは、8年前から描いてきた年賀状用の干支のイラスト。3時間で描き上げて、終わったのは年が変わる15分前! その晩に「明けましておめでとうございます」と送信しなかったは幸いでした。
元旦の朝は、メールやSNS, そしてニュースもチェックもせずにリラックスしていたのですが、東京在住の妹が石川県の震災を知らせてきてびっくり! 検索しまくりました。自然災害はもちろん時期を選ぶことはできないですが、元旦早々とは! 石川県といえば、関係している企業が金沢にあるので、皆さんの無事が心配でした。幸い、その会社の皆さんは無事だったのですが、社屋や多数の製品に被害があったそうです。
能登半島地震において、亡くなられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災をされ方々に心よりお見舞いを申し上げます。
そして羽田の事故!信じられない惨事ですね。JALの乗客が全員助かったのは何よりですが、人生何があるかわからない、毎日を大切に生きなければ、とい痛感しています。
さて、話がどんどん横に逸れていきそうなので、今日のタイトルの本題に戻します。はい、去年の2023年は、64歳の私にとって、キャリアが進化した年でした。
SNSやブログできちんと報告する暇もなくここまで来てしまったのですが、2021年の秋から、京都に本店がある絞りの専門店、片山文三郎商店のアパレルブランド、BUNZABUROさんとの仕事を始めました。1915年(大正4年)に創業し、3代目、現社長の片山一雄さんが、絞りを使って、現代ファッションとアートが融合した商品を確立していったブランドです。10年ぐらい前からは、息子さんの一也さんが、グローバルな展開を目指して活躍しています。以前、ヨーロッパの展示会で当社を手伝った友人を通して私に声がかかりました。
最初は越境ECサイト(オンラインストア)のリニューアルの構築を依頼されたのですが、私はECサイトを構築したことがなかったこと、最近のファッション界に関わっていないのでエクスパートとしてお手伝いできないこと、BUNZABUROの商品が「よくわからない」こともあって、日本のエージェンシーに依頼することをお勧めしました。
でも、一也さんがどうしても私と仕事がしたい、と言ってくださった理由は、何とこのブログを読んでくださったから!らしいです。
「いやー経歴もそーですが、めっちゃ面白くて、、引き込まれてしまいましたー」と。笑
その頃、無料で一生懸命ブログを書いて何か意味はあるのだろうか、、、と思い始めていたところなので、若い経営者にそう言っていただいて嬉しかったです。
そして、検討の上で、Shopifyというシステムをサイト構築に選び、学びながらエンジニアにも手伝ってもらって構築し、2022年の初夏にローンチ。→ https://shop.bunzaburo.com
BUNZABUROの商品を、世界中のどこからでも買っていただけるようになりました。
一也さんが目標としていた売上額には1ヶ月で到達、非常に喜んでいただくことが出来ました。そのままサイトのメンテナンスとカスタマイズを続けて、Wholesale /卸売りのポータルも作成。これは私だけの功績ではなく、片山と弊社、両方のチームの協力があったから出来たことです。
他にも当社が抱えている問題の解決のコンサルとサポートもさせていただくようになり、実店舗のPOSシステムの導入や、商品の在庫管理の一元化のシステムを導入するお手伝いをし、2022年の10月から12月にかけての2ヶ月間、東京と京都に滞在して、本店が伝統的な町屋である片山家にどっぷり浸かり、どんどんとBUNZABUROの不思議な魅力に感化されてしまったのです。もうその頃にはスタッフの一員!京都にいる間の滞在は、キッチン付きで日本家屋のAirbnbを選び、一度京都に住んでみたい、という願望も叶いました。
ファッション専門ではなく、普通の日本企業だったら引退させられている年齢の私を頼りにしてくれて、色々と任せてくださった一也さんには感謝!です。私も、今後の事を考えて、若いスタッフにシステムを教えながら任せていくことに努力してきました。
BUNZABUROは、すでに世界中の卸の顧客と取引があったのですが、オンラインのシステムを使って取引の効率化を図り、ヨーロッパ、クエート、メキシコ、中国と、新しい顧客との契約をお手伝いし、去年の7月には、正式にOverseas Manager に就任。毎日のようにBUNZABUROの幹部やスタッフと仕事をするだけではなく、世界中の顧客とやり取りをして、寝ても覚めてもこのブランドの事を考えていることが日常となりました。私は元々グラフィックデザイナーですから、シーズン毎に顧客に送って注文を取るルックブックは自分で制作しています。
ほぼ10年前まではイラストレーター/グラフィックデザイナー/画家で、完全なクリエーティブだった私。又、クライアントは欧米の企業や団体だけ。それから日本人経営のギャラリーを手伝うことによって日本人と仕事をし、自分以外のクリエーティブの成功をお手伝いする喜びを知りました。そして、父が急逝したことによって、在日フィリピン人たちがお客様の宅配と送金の会社を経営した時には自分の英語力が役に立ちました。その時に学んだ貿易の知識は、今の仕事にとても役立っています。
片山家と仕事をするようになった理由はECサイト構築ですから、これほど広範囲にお手伝いすることは予想外でした。でも、今やっていることは今までのキャリアの集大成なのではないか、と感じています。様々な経験をしてきた自分だから出来る役割なのではないか、と。今後は、ファッションの本場、ニューヨークでBUNZABUROが勝負するお手伝いをすることになりますが、年が明ける前にそのきっかけを作ることが出来ました(こちらは追って告知します。)
去年は、BUNZABUROの仕事だけではなくて、以前からパートナーのように仕事をさせていただいている、東京ミッドタウンのSMPさん(Style Meets People)との関係もさらに密になりました。去年の9月に、店舗内にギャラリースペースを構えることになり、そのECサイトを構築。→ https://smp-gallery.com/
メンテナンスも任されているので、間接的でも又アートに関われて幸せです。女将の松浦麻沙子さんとはテレパシーを送り合うような仲で、どちらかが仕事が出来なくなるまでコラボしているのだろうな、と思います。
そして早くも師走となり、弊社のオンラインストア、CoCollaborations, The Store をローンチ!→ https://store.cocollaborations.com/
BUNZABURO、SMP、そして、今をときめくブランドプロデューサーの鶴本晶子さんを通してお会い出来た、私が尊敬する故浅野邦子氏が創業した、金沢箔のブランド、箔一さんの商品を扱わせていただき、英語のみ、今は米国発送のみのストアです。
このストアの開設は、クライアントさんたちをサポートしてきた今までの経験を活かして〜、と思ったのですが、予想していたよりずっと大変でした💦 💦 💦 小売業の苦労、そして輸入の苦労、よく分かりました。12月の6日と7日に、トライベッカで行われたホリデー・トランクショーへの参加を決めてしまったために、強行ローンチするしかなかったのですが、マーケティングの用意も出来ていない状態で、これから充実させていきます。
いずれは、田舎の家から車で30分ほど、ニューヨーカーが休暇で集まるおしゃれな街、アップステートのハドソンに店舗を持つことが夢です。
と、仕事的に盛り沢山、進化を続けた2023年でした。
私は今年、65歳になります。オフィシャルにシニアです!
でも、引退の準備をするどころか、クライアントの皆さんと一緒に、コラボレーターたちにも協力してもらって、さらに大きな目標に向かって仕事をしていきます。
今年は、絵を描くことにも運動にも時間を割けたらプラスです。
このブログも、できる限り続けて、少しでも、何らかの形で皆さんのお役に立ちたいと思っていますので、読んでくださいね!
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