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シニアになり、生涯現役でいるための仕事計画中


Coco on the pier of Sag Harbor, June 2024
Sag Harbor, June 2024

こんにちは。ココマスダです。

65才のお誕生日を迎えて、オフィシャルにシニアになってから2週間以上経ちました。実は、お誕生日と同時に公開するはずだったこの投稿、なかなかまとまらないまま時間が経ってしまったのです


仕事の締め切りは絶対守ってきた私ですが、人生計画はそうそう簡単には決まりません。


通常は、カタカナ言葉を使うより、昔からちゃんとある日本語の言葉を使う方を好む私ですが、日本語の「高齢者」という言葉は、年齢だけで人を分類する訳で、「後期高齢者」になるといかにも「もうすぐお迎えが来る人」でちっとも嬉しくない。「シニア」には、上級[上席・高位・上位]という意味もあってポジティブですから、こちらを使うことにします。


シニアになったという自覚がありますかって?大ありです!還暦を迎えることが人生において大きな節目になる方は多いと思うし、私もそうだと思い、シニアとして充実した幸せな生活を送るための準備を進めたことはこのブログにも書きました。→ 還暦後の人生を有意義に送るための5つの活動:その① でも、社会が私たちをシニアと見なして色々な事が変わる65才になったことの方が、そうか〜、もうシニアか、との実感を感じています。


私は自営業で引退させられることもないので、それはメディケア(連邦政府による65歳以上のための医療保険)の適応であり(手続き大変でした!)、交通機関や様々なアクティビティでシニア割引が受けられるようになった事です。どうせ年を取ったのなら、今まで一生懸命生きてきた恩恵を受けられるのは嬉しいですけど。


現在一律2ドル90セントのニューヨーク市の地下鉄の料金が半額の1ドル45セントになり、オフピークの時間帯だと片道28ドルの田舎の家とマンハッタンを行き来する列車、MNR(Metro North Railroad) の料金が、同じく半額の14ドルになりました。美術館も映画館もシニア割引があります。


年金をもらい始めるのは、少なくとも "Full Retirement Age" (満期退職年齢)である66歳10ヶ月、出来れば70才まで待つつもりです。待てば待つほど受領額が増えるのは、日本もアメリカも同じですね。それに、年金を当てにしないで収入を保ち、年金はおまけ、に出来れば理想だと思っています。


これから健康に生きられるのが長いか短いか分かりませんが、人生の終わりが見え始めた今、仕事に対する姿勢も変わりました。ココさんは年を気にしすぎる、と言う友人もいますけど、そうではないのです。11年前の父の急逝を筆頭に3人の家族を亡くしたので、いつ何が起こるかわからない、毎日を大事に生きなければ、という意識が強くなってしまったのです。

 

·      病気知らずで年齢より若々しくて、ゴルフのトレーニングを欠かさなかった父は79歳で急死(急性骨髄白血病)。

·      2歳年上の兄は57歳で早死に(糖尿病をほぼ放置してグルメな生活を続けた挙句に脳梗塞発作。死因は、入院中の脳出血)。

·      様々な病気を乗り越えて、週に3日はカーブスに通っていた母は、84歳で亡くなる2年前に脳梗塞で倒れて半身不随になり、介護付き有料老人ホームで寝たきり生活。


私の両親は若くして親になり、私の年齢に対してとても若い親だったので、もっと長生きしてくれると思っていましたからショックでした。二つだけ年上の兄が57才で逝ったことは更にショックで、考えさせられる結果となりました。


私はほぼ仕事=趣味なので生涯現役とは思っていますが、私が運営するCoCollaborationsの代表として、今サポートをしている数社のクライアントだけで毎日忙しいので、自分に合わない仕事、やりたくない仕事、すぐに頼めるコラボレーターたちで対応できない仕事は、未練なしに断れるようになりました。


新規の見積もりや人材集めって、とても時間がかかって仕事が確定しない限り見返りがない作業なので。ひとりの時間とエネルギーは限られていますから、これからは、自分がやるべきこととやりたいことを見極めていきます。


皮肉なことに、引退する人も多く、確かに能力が衰えてくるこの年になってから頼まれることが多くなりました。米国でのディストリビューターになって欲しい、という依頼は結構あるし、やっとそういうことをするスキルセットが揃った、とは思うのですが、今からそれをやっては自分のやりたいことができなくなるのでお断りしています。


新しいクライアントは実質探していないので、CoCollaborationsのウェブサイトは近々リニューアルします。若手にビジネスを継いでもらう事も考えて、ここ数年人材探しもしたのですが、適当な人材には出会えていません。現在サポートをしているクライアントの仕事はしっかり続けて、いずれは業務毎に若い人に継承してもらいますが、


皆さまの夢を叶えるサポートをする代わりに、自分の夢を叶えることに移行していきます。


あ、「夢」というのは大袈裟。「やりたい事」と呼んだ方が良いでしょう。だって、叶わなくても別に構わないのですから。今まで充実した人生を送ってきたので、明日死んでも悔いはないのです。


20代にイラストレーターだった時は、「TIME誌の表紙が飾れたら日本に帰ってもいい。」と言っていましたが、それ、叶っちゃったし! 私は何故か、イラストレーターとして日本人社会では全く知られてないのですが、欧米の沢山の大きな仕事を手掛けてきました。日本では唯一、2014年から、伊藤忠のキャンペーンのイラストレーションを2年続けて描かせていただいて、そのキャンペーンは日経広告大賞を獲得し、クリエーティブディレクターの葛西薫さんに、「これから忙しくなりますから覚悟したほうがいいですよ」と言われましたが、全く!インタビューの依頼もありませんでした。


そして、母親になれなければ幸せになれなかった私。赤ちゃんを産むことは出来なかったけれど、娘を養子で授かって(それも生後6日で!)、母親にもなれました。本当にありがたいことです。子育てをしていた時は、いや〜大変だったけど一番幸せでした。今でも考えただけでウルウルしてしまうほど。


だったら、おばあちゃんになってまた子供の世話をしたいか、というと全然!です。これからは自由を選びます。もう誰のためにでもなく、自分のために残りの人生を生きたいです。なので、ペットも飼いません。時々孫犬のムースのお守りをするだけで充分。連れ合いとはギブアンドテイク。昔は「つくす女」でしたが、もうそれも終わり。


今まで仕事を依頼してきたコラボレーター達には何をしてあげられるかは、現在考え中です。自分が経験し学んできたことは、必要な方には伝授しますが、なかなか時間が無いので本を書きたいです。それはかなり前から言ってきたこと。その時間は作らなければなりません。


私がこれからやりたいことは、店舗を構えること。


それには資金が必要ですし、失敗するリスクが高いし、始めちゃってから後悔しないか悩みに悩んでいることなのですけど。


去年の12月にローンチした CoCollaborations The Storeを、Pop-upをやりながら充実させて、いずれアップステートのハドソンという街に、セレクトショップ/ギャラリー/抹茶カフェを出店して、キュレーターとして楽しみたいです。ロケーションが非常に大事なので、良い物件が空くのを待っています。


そして、アーティストとしての制作に戻り、自身の作品もショップで売っていきたいです。大好きなのにずっと時間がなかった縫い物や編み物もしながら商品開発もしたいかな。


これまで沢山の人がやってきた事で、何も真新しいことではありませんが、私なりのこだわりのスペースを作りたい。主に日本のブランドの、作家たちの商品を扱っていきたいですが、メイドインジャパンにはこだわりません。イラストレーターの友人たちの作品や商品も扱いたいですし。


どうしてマンハッタンではなくてハドソンに店を出したいか、にはふたつの理由があります。


  1. 時々訪れるのは良いですけど、もうマンハッタンには住みたくないから。ブルックリンならまだいいかな、とも思いますけど、不動産に手が出ないし、やっぱり田舎生活の方がいいです。

  2. ニューヨーク市ですと週に6日は店を開けていないとなりませんけど、アップステートでは、ほとんどの店舗やレストランが木曜から日曜だけオープン。それも閉店時間が早い!なので、月曜〜水曜の三日間は制作に時間を使えます。そして、ツーリストが多い、夏やスキーシーズンの間だけオープンすれば、旅行もできます。


ハドソンは、アップステートの(その名の通り)ハドソン川沿いにあり、ニューヨーカーが好んで休暇を取る、おしゃれで結構大きな街です。うちからは車で約30分。インテリア関係の店が多く、コロナ禍の間に飛躍を遂げて、レストランやギャラリーも充実し、目抜通りのWarren Street (ウォレン・ストリート)の店は高級ですけど、モールには必ず入っているようなデザイナーブランドの店やコマーシャルブランドの店は全く見かけません。


いずれは、カフェとバーの両方を、店内のカウンタースペースで出来るようにしたいです。昼間は抹茶バーで、夜はお酒のバー。


私は、お酒は大して飲めないのに、バーが大好きです。外食も、テーブルに座るよりカウンターで食べたい派。以前からバーテンダーの資格を取りたかったのですけど、元夫が「冗談じゃない!自分の妻がバーテンダーなんて!」と大反対。でももう自由。


私と話したい人、マダムココに身の上相談をしたい人が来てくれるバー。ちょっとした手料理も出したいですから、日本でいうスナックという空間かもしれません。


先週、カフェ兼スナックのアイディアの実例に寄らせていただきました。マンハッタンにある、昼間はカフェ、夜はスナックになる、カフェmiomio /スナックむつみです。参考になります。

 

私のお誕生日と同じ時期に、23才の一人娘がやっと大学を卒業してくれたので、人生のひとつのチャプターが終わり、次のチャプターが始まった感が余計に大きいです。コロナ禍でほとんどの授業をリモートで受け、友達も作ることがなかった娘は、卒業式に出席する申し込みもしなかったそうで、親としての大きな感激を味わうことはできませんでした。


卒業式ぐらい出席してくれてもよかったのですけど、最初に入学したアルバニーの州立大学に慣れず、マンハッタンの実家から通える市立大学に転校し、自分が進みたい進路が決まらないままビジネスを専攻して学業を終えた子です。卒業の喜びを感じないのもわかるので苦情は言いませんでした。でも、勉強する意味も感じなくても、成績はトップを保って卒業したから偉い。


運動神経抜群でアスリートとしての将来を約束されていた子だったのに、両方の膝の靭帯を切ってしまって進路を失ったのに、ドラッグやお酒には手を出さず、バイトをしながら良く頑張ったと思います。バイトだけでかなり稼いで貯金と投資もして大したものです。娘からは沢山のことを学んでいます


しばらく前に、娘がこう言ってくれたのです。

"I am so glad to have a mother who knows how to get things done."

「物事を成し遂げる方法を知っている母親を持つことができて本当にうれしい。」


ママは色んなことやって苦労してきているから〜。杏奈ちゃん、毎日が勉強よ。

でも、娘には私のような人生は送ってほしくないです。もう少し賢く、楽な人生を送って欲しいです。

どうしてこの歳になって朝から晩まで仕事しているのかしら、とは思いますから。

でも、それで「生涯現役でいるための仕事計画中」と書いているのですから救い無し!


「ママがハドソンに店を出すのなら手伝いたいかも」と言ってくれましたが、期待はしていません。それに、その前に他で揉まれてスキルを磨いて欲しいです。でも、後を継いでくれるのなら嬉しいな。


私は若い頃から長生きしたいと思ったことはないのですが、もう自分だけの人生ではない、という意識はあります。これから長い人生を生きていく娘のために、元気に出来るだけ長生きしてあげたいです。人生いつ何があるかわかりませんから、困った時に帰れる場所を保ってあげたいです。佐藤愛子さんのように、文句を言いながら100才まで現役でいられるかな。


皆さん、これからもよろしく!


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