自然に囲まれた生活がやたら恋しいこの頃です。


1998年の2月から2002年の10月まで持っていたニューヨーク州ウッドストックの別荘



こんにちは。


私は、40年間ニューヨークに住んで働き、「ニューヨークのココマスダ です。」と毎回書くぐらいニューヨークが自分の居場所だと思ってきたのですが、このパンデミックでニューヨークがニューヨークでなくなるという誰も想像しなかった事態となり、暑いのにマスクをしないと趣味のサイクリングが出来ないどころか、外に出ることも出来ない今日この頃。


はい、疲れてきました。


このブログでは、4月3日に、

「今回ニューヨークに留まる事に何の不満もありません。

それどころか、留まって、

この街が刻々と変わっていくのを体験できるのを幸福に思っています。

ここは私が愛する街だから。」

なんて書いたのに〜。お前はもう気が変わったのか!だって〜。


いや、それでなくても私は去年還暦になり、娘は大学に入って寮住まいになったので(春休み中に寮が閉鎖されてからずっと帰ってきたままですが。涙)、今後の事、考えるようになったのですよ。どんなに長くても後2、30年、終わりが見え始めた人生だから、どこで、誰と、どんな風に生きようかな、と。ニューヨークも今の住まいも気に入っていても、ここで一生を終わるのかな、と考えると、嫌だな、と思います。もっと違う世界も経験したいな、と。今の彼と時間を過ごすのは楽しいけど、これからは自分に正直に生きたいな、と。気候が穏やかな自然の中に暮らしたい、という気持ちはどんどん強くなってきていたのです。


私が育った東京の大田区の近所には洗足池公園があり、小中学校の頃は多くの時間をそこで過ごしましたが、私は霞ヶ関のようなビル街が大好きで、どちらかというと自然は苦手でした。日本の海の匂いは嫌いだったし、無機質なインテリアが好きだったので、オフィスを間貸ししたテナントがプラントを持ってきた時には「ヒェ〜、やめて欲しい!」と思ったぐらい。20代の頃はいつもバッチリおしゃれをして、ジーンズとかスニーカーとか持っていないタイプだったし。それが、40代になる頃には、時々自然と触れ合う時間が必要になってきたのです。そういう人は多いかもしれませんね。


1980年代だったと思うのですが、両親がハワイ島にコンドミニアムを買ってからは、毎年訪ねて行って家族で時間を過ごすようになり、ハワイ島が第2の故郷となりました。1995年にそのコンドミニアムを父に買い取らされ、ローンの返済に後年苦労することになるのですが。


田舎に暮らしても良いかも、と思うようになったのは、23年前に2番目の夫と結婚して、翌年ウッドストックにプール付きの別荘を買ってから。別荘は、一緒にではなくて私が買いました。どうして買えたのか、皆さん興味があると思うので次回そのお話をしますが、小川も流れている4エーカー(4,896坪)の広大な土地に、アップステートには珍しい、2階建てで陸屋根のモダンな家が建っている物件で、鹿やウサギはともかく、野生の七面鳥の家族も徘徊し、夜は周りが真っ暗になる、という、都会育ちの私にとっては大自然の環境だったのです。


私は生まれも育ちも大都会の生粋都会人ですから、別荘にひとりで泊まると夜が怖くてたまらず、友達や家族に電話しまくってました。だって、泥棒が侵入しようとしたら入り口はいくつもあったのですから。自宅で4人が殺害されるストーリーのトルーマン・カポーティの「冷血」なんかを思い出すともう眠れず! でも、娘が生まれて養子に迎え、夫が一緒に行かなかった時に、赤ちゃんの娘と二人で過ごしてもなぜか怖くなくなったのですよ。不思議ですよね。母親になって強くなったのか。


2001年の9月に、うちのすぐそばのワールドトレードセンターで同時多発テロがあって、その日のうちに猫も含めた家族全員で別荘に疎開しました。夫は1週間でニューヨーク市に戻り、私と娘はその後4ヶ月をその別荘で過ごしました。あの頃私はイラストの仕事で大忙しだったのですが、別荘に仕事場はあったので、昼間は地元の学生をシッターさんとして雇って仕事をし、広々とした空間での娘との生活は穏やかで幸せでした。


ずっとここに住みたい!

と思いました。


でも、ニューヨークで生まれ育った夫はウッドストックの田舎が肌に合わず、移住には反対しただけでなく、だんだんと別荘に来る事を渋るようになりました。それでなくてもテロ事件で亀裂ができた私たちの夫婦仲は、私と娘が別荘にいる時間が多い事で更に悪化したのです。結局私は家族の平和を維持するために、そして経済的な事情もあって別荘を手放す決心をしたのです。それが18年前。もうそんな前になるのか!です。


ハワイ島のコンドミニアムを売ったのは元夫と離婚した後で7年前。それからSUVのマイカーも手放し、自然と都会を行き来する、精神的にバランスの取れた生活は終わりになったのです。でも、そのすぐ後に父が急死して彼の会社を継ぎ、ニューヨークと東京を行き来する生活が始まったので、グッドタイミングだったと言えるでしょう。それに、別荘を持っているというのは、行き来するのも、物件を維持するのも結構骨が折れるし経費も非常にかかるものです。車だって持っていたら、車検やら修理やら面倒な事が多いですよね。家も車も無くなって、何も所有しない生活には結構満足していました。世の中にはどんどんシェアリング・エコノミーが広まり、「持たない幸せ」なんて本を書こうと思っていたのですよ。


このパンデミックまでは!


3月末に緊急事態が発令されると、別荘を持っていたり、親や親戚が郊外に住んでいるニューヨーカーたちは、皆そそくさと疎開しました。週末だけ別荘に行っていた友人たちは、逆さまに田舎を本拠地にして、時々ニューヨーク市に帰ってくるようになりました。そして、何ヶ月経っても、帰ってきても仕方がない状態が続き、「もう帰るのやめようか」と移住を決心した人たちが後を絶たないそうです。特に小さな子供がいる家族は、マスク無しで外で遊べる庭がある家の方が魅力的なのはいうまでもありません。


以前は私が住む建物に住んでいたけど、同時多発テロ事件があってから、コネチカットのミスティックという小さな海辺町に引っ越したイラストレーターの友達と4月に電話で長話をしているうちに、あの町に住むのもいいなぁ、という気がしてきました。早速検索すると、私でもまだ手が出そうな物件が結構あるじゃないですか!先ずは彼も誘ってAirbnbにでも滞在して気にいるか確認してから不動産を探そう、と夢を膨らませていたら、ここ数ヶ月で、ニューヨーク市から車で行かれる距離の郊外や田舎の不動産が、あれよあれよという間に高騰してしまいました。あ〜あ、行動に移すのが遅かった!


ちなみに、ニューヨークでは日本の感覚とは違い、別荘を持っている=富裕層、とは限りません。別荘=豪邸とは限らないので。かなりの修繕が必要だけれども、お金と時間をかけて修繕すれば綺麗な家に生まれ変われる、そんな可能性を秘めた物件の事をフィクサー・アッパー(Fixer upper) と呼びますが、そういう物件を安く買って別荘とする人たちも沢山います。日本人は、マイホーム=一生住む家と考えがちですが、アメリカ人は、仕事や家族の事情によって住まいを売買して住み替えるのが普通です。


6月23日に、ニューヨーク市から車で2時間ちょっとのロングアイランドのノースフォークに、農場でボランティアをしていた友人及びクライアントのカヤ・アベ・マギーさんを訪ねがてら日帰り旅行をして気に入り、海に近い場所で、自然に囲まれて暮らしたい、という気持ちが強くなりました。又、私は彼女の momoglobalflowers.com のサイトの制作及びメンテナンスを担当しているのですが、カヤさんはバイオダイナミック農業に傾倒している最中で、彼女の情熱的な話を聞いているうちにどんどん影響されてしまいました。今回のパンデミックの事を考えても、自分が食べる野菜ぐらい自分で栽培できたら最高ですよね。彼女もコミュニティーガーデンが出来る土地付きの家をニューヨーク州の南部に探しているのですが、やはり不動産の値段が高騰してしまい、仲々見つからない、とボヤいています。


今すぐにでも家探しにいきたいのは山々ですが、私は娘が大学を終えるまでは移住することが現実的ではないのです。少なくとも後3年はニューヨークに住み続けなくてはならないので諦めがつきます。旅行が出来るようになったら色々な土地を訪れて、どこで、誰と、どんな風に生きようか、をじっくり考えたいと思っています。
















 

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