プロフィール:詳しいバージョン
ココマスダの今がある理由

1。外国人に会う機会が多い環境で、ハイカラで実業家の父親に、国際人となるべく育てられた。
2。天才的に記憶力が良く、百科事典を小説のように読む兄がいて、「お兄ちゃんに脳味噌を取られちゃったんだから、あなたは努力しなければだめよ。」と母親に言われたのを鵜呑みにして努力家になった。
3。でも、2歳の時に描いた絵が区民会館の展覧会に入選して、母親が「この子は絵の天才だ。」と思い込み、絵画に接する機会を進んで与えてくれた。
4。3歳の時に、事故のために左手と首に三度の火傷を負い、「一生結婚はできないだろう」と父親に言われて、「自活が出来る様にならなければ」と思った。
5。運動神経が抜群に良かったが、火傷を隠すために半袖/短パン(古いな)を着れなかったために、大会等は尽く辞退してアスリートになる事は諦めた。
6。東京芸大の入試に失敗し、「女が浪人するもんじゃない」と、本人の希望も聞かれずアメリカのバーモント州の英語学校に留学させられた後、自分の意思でニューヨークに移り、初めて自分の居場所を見つけた。
7。20〜40代にイラストレーター としてそこそこの成功を収め、欧米の一流の企業や団体と仕事をした。
8。父親の予言に反して恋多き半生を送り、アメリカ人と2度の国際結婚をした。両方とも離婚に終わったが、二人からは色々な事を学んだ。
9。子供が大好きで沢山欲しかったのに、複雑な事情で子供を産むことが叶わず、ハーフの乳児を養子に迎えて育てた。
10。チェルシーの日本女性経営のアートギャラリーでバイトをして、日本人と仕事をする喜びを知った。
11。2013年に父親が急死したために、彼が残した会社のひとつの小会社を継ぎ、2年半ニューヨークと東京を行き来して経営をする間に、父の親友だった元フィリピン丸紅の社長から経営を学んだ。
12。2年後の父親の命日に2歳年上の兄も急死したために、残りの人生は自分のやりたい事をしていくべきだと悟り、上記の会社を売却し、再びニューヨークで新しい出発をした。
普通のプロフィール
東京都大田区出身。1979年に渡米、パーソンズ・スクール・・オブデザイン、イラストレーション科卒業。ニューヨークを拠点にグラフィックデザイナー/イラストレーターとして活躍後、2009年より画家として、日常の物語を描き出すことをテーマに、第2の故郷であるニューヨークの景色と人々を題材にアクリル画の制作を始める。2012年から一年半、ギャラリー街であるチェルシー地区にある日本人経営ギャラリーで、Onishi Projectという日本人作家を米国に紹介するプログラムの設立に関わり、ディレクターも勤めたこと、そして2013年の実家の父親の急死後2年半の間、東京で会社経営に従事した後に売却に成功したことから、自分の英語力とコネクションを使って、日本と欧米の架け橋となるビジネスを営む事を決心。クリエーティブとビジネスサービスを提供する、CoCollaborations, LLC を2017年の夏に創立。2020年からは、イラストレーションと画家業も復活させて現在に至る。
*履歴は日本では古い方から書きますが、欧米では新しい方から書きます。
カルチャーの違いですが、学歴や経歴などの過去より今の方が大事って事で私は後者の方が好きなので、以下、新しい方から列記しました。あしからず。
まだ仕事にしていない趣味
⭕️ 日本習字 三段 漢字部門・高等師範
書道はコツコツと続けている趣味で、おばあちゃんになった頃に子供達に教えられればいいな、と思っております。って遠い将来ではないんですよね。笑
⭕️ NYCC ニューヨーク・サイクリングクラブ 会員 (まだ新人です。)
⭕️ 料理
料理はリラクセーション。どんなに忙しくてもほとんどチャチャっと自炊します。Procrasti-baking (仕事が忙しいはずなのにそれを避けてしてしまうベーキングです。)も良くやってしまいます。
一番好きなタイプの料理は、地中海あたりの料理です。
○ 国際空手道連盟 極真会館 初段
(手首の関節痛のために2017年末から退会していますが、極真空手家として過ごした日々は、特に娘も一緒に稽古していた年月は、今でも考えただけですぐに涙が出てくるほど最高の時期でした。押忍)
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